第二回 雪堂茶会写真集
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小野田雪堂の書を後世に遺したい・・・・。そう想っていた人たちが「ある出来事」をきっかけに動き
だした。
雪堂美術館設立に向けて行動を起こしたのである。それは去年の6月「雪堂美術館建設委員会」
という形で組織され、今日2004年11月3日の吉日をもって、無事円成し、開館を迎えることになった。

「雪堂美術館のシンボルになるような門とアプローチを設計して欲しい。鎌倉の名物になるようなも
のを・・・・」これが設計の際、皆さんからでた要望だった。

雪堂先生は敬愛してやまない御仁である。日頃親しくして交流して頂いていて、私がその書に魅せ
られていることも確かであるが、その小野田雪堂の美術館のイメージを、門とアプローチに現すこ
とができるかどうか、また鎌倉の名物になるようなものができるかどうか・・・・。

雪堂美術館になる前は「北山文庫」という名称で雪堂の書を中心に展示する、小さくも愛らしい美術
館で、全国でも希な雰囲気のあるところとして女性に人気があり、知る人ぞ知る寂静スポットだった。
三度ほど北鎌倉の現地に行き、構想を練ったが、今は尋ねるたびに雪堂夫妻と芸術談義に花を咲
かせ、酩酊して帰ってきた記憶しか残っていない。

「雪堂の書を門にしよう・・・・」そう想ったのが設計に入る時、私の裡で固まっていたイメージである。
私の見るところでは、その書法は書聖王羲之の風韻をもちながら、他の追従を許さない書風を確立
し、近年、稚拙味といわれる独自の書を展開している。「伝統に根ざした斬新さ」雪堂の書を言葉に
現せばこうなる。

一木造の門にしよう。雪堂の書は品格が高いので材料は良質の桧にしよう。それも少し黄味がかか
った台桧(たいひ:台湾桧、薬師寺などの用材と同じ)がイメージにかなう。門は屋根がすべてという
が、雪堂の書の温かさや、優しさ、円やかさから柔らかな線にしよう。類例の少ない起り(むくり)屋根
がいい。曲線が多く、扇垂木などの技法が要る難しい仕事になるが、伝統的な技術を今日的に駆使
できる大工ならそう難しくない。屋根の仕上げは三百年、五百年をめざし、チタンの板で葺こう。門扉
は数奇屋のイメージの格子扉がいい。−皆の想いがこめられ完成した門は「雪堂門」という銘がつけ
られた。小野田雪堂そのものという意味がある。木の香漂う門ができ、アプローチを皆さんが喜んで
下さっていることで、私も務めが果たせたかとホッとしている。

この事業は建設委員会のメンバーだけでなく、大勢の人の厚志、善意で成された。約700の寄附者
名を書き葺いたチタン屋根も特筆しておかなければならない。街角にたって募金のパンフレットを配っ
た方、薬師寺の木材と同種材を調達してくださった方、雪堂先生の書を世に出そうと出版で尽力され
た方、色々お世話になった近隣の皆さん。数え上げればきりがない。設計者として心から厚く御礼申
し上げたい。

雪堂門の前には鹿児島紅という種類の紅梅が植えられ、「芝雪梅」という銘がつけられている。
雪堂夫人の雅号をとったものだ。ご夫妻のイメージがこのレイアウトとなった。門をくぐり、正面に槙の
木がある。私がこの仕事を手がけるきっかけとなった「ある出来事」の思いの植栽である。
雪堂先生は三年前、この事業の中心になり次代を担うはずのご子息を亡くされ、心の裡で慟哭され
ていた。槙はご子息の思いを植え込んだ木である。西王母の椿とともに末永くこの美術館を見守って
頂きたいと願うばかりである。

「雪堂門」はここの主人、館長の雪堂先生に会いに来る門である。是非、「心の安らぎ」を実感できる
美術館に足を踏み入れ、多くの方に文人雪堂の書にふれて頂ければと思う。

「皆でつくった雪堂門は 主の笑顔と会いたい門」 自作都々逸集より (建築家 太田新之介)

 

 


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