今日は北鎌倉の雪堂美術館へ

 久しぶりにKNOBさんのディジュリデゥを聴く。彼がディジュリデゥを始めて以来何度となく機会があればその音色を聞いているが、今日のは今までになくよかった。

 なんだか心地よく、私の体の中のDNAが受け継いできた太古の記憶が蘇ってくるような、そんな音色。演奏を聴いた太田氏もおっしゃっていたが、人の心を打つというのは、技術もさることながら、つたえるものの「心」がないと響かないものなのだな。演奏するKNOBさんの気持ち・心がディジュリデゥの響きから、心にじかにふれてくるそんな気がした。

 彼とディジュリデゥとの運命的ともいえる出会いの話。その中で、アボリジニーの一瞬一瞬を直感にしたがって生きていれば、必ず必要なことが起こってくるという言葉が心に響く。「明日のことを思い煩うな」という言葉が聖書にあるし、「人事を尽くして天命を待つ」とか「天は自ら助くる者を助く」など・・・・言葉や人種、文化を超えて真理はただ一つなんだと改めて考えて感心。

 10分ほどの休憩時間には、お茶とコーヒー、それにお菓子のセルフサービス。普段は靴を履いたままで、「もったいないなぁぁ」と思っていたチーク材の床、今日は靴を脱いでそのやさしい感触を感じながら、コーヒーを片手に館内を観て回る。

 さて、その後は建築家・太田新之介氏のお話。お茶事のお話から、書家・小野田雪堂とその作品、それをイメージし作られた新様式の雪堂門。柔らかな線の起り(むくり)屋根、薬師寺と同じ台桧を使い、扇状に木を組む、扇垂木などの技法を用いているそうだ。その柔らかな屋根を包むのは、チタンの瓦。三百年、五百年ももつという。小野田先生のどの作品にも共通するもの、それは「間」だと太田氏の言葉。日本人はいろいろなものを「間」という言葉で表す。時の「間」は時間、人の「間」は人間。この日本人独特の観念「間」をもって改めて小野田雪堂の作品をみると、なるほど! 茶の湯の世界では侘び、寂びで「美」を表すそうだが、先生の作品には「侘び」があると。その「侘び」とは生気をもった「侘び」でなければならない。「侘び」とは正直でおごらず控えめであること。なるほどなるほど、面白い、もっと聞きたいと思ったところで、そろそろ時間ということで、残念ながらお話は終わり。

 「温故知新」という言葉をかみしめ、いつになくじっくりと雪堂門を眺める。まだほのかに桧の香りがするようだ。本当に素敵な門。先生の書が、いろんな人の思いが、この門になっている。

 頭と心が一杯で、心地よい疲労感に包まれて家路についた。

 2005年 平山禾雪